がたん、と不自然に揺れたかと思うと、エレベーターは急に止まってしまった。
「あれ?」
思わず上を向いたけど、もちろん止まった原因がわかるわけもなくて。
「止まりましたね」
いっしょにエレベーターに乗り合わせていた男の子が、同じようにエレベーターの天上を眺めながらそうぽつりとつぶやいた。
エレベーターが止まったときには、原因がわかるわけでもないのに天井を仰いでしまうのは人の性なんだなぁ、なんてこのときわたしは暢気に思っていた。
エレベーター内の電気が消えるわけでもなく、地震があったわけでもないから備え付けの非常用の連絡機を使って警備室に連絡すればすぐに復旧するだろうと楽観していた。
「ちょっと警備室に連絡してみますか」
そう言って彼は緊急用の連絡ボタンを押した。
「あー、あー。すいません、誰かいませんか?」
彼の呼びかけに対して、スピーカーからは何も返答がない。
「すいません、誰かいませんか? 法経棟のエレベーターが止まっちゃったんですけど。すいませーん」
粘り強く呼びかけつづけていたけれど、やっぱりスピーカーは沈黙したままだった。
「困ったな。誰もいないのか、通信機が動かないのか……」
彼はわたしの方を見て苦笑した。
「そうですね。このレポート出したら成人式に行かないといけないんですけど」
そう言ってわたしは手に持った封筒を彼に見せた。
「成人式当日にレポート提出? 女の子は振り袖とかドレスとか、メイク大変なんじゃないんですか?」
そう意外そうに聞く彼の目を見て、思わずどきりとしてしまった。
純粋な日本人とは違う、ダークグレーの瞳。髪も少し茶色がかっていて、染めているのかと思ったけど、もしかすると地毛なのかもしれない。
わたしは帰国子女なので外国人に対して偏見は持っていないし、大学構内には外国人留学生もいるから、外国の血が珍しいと言うわけではなかった。
けれど彼の瞳の色にはどこか引き寄せられるような何かを感じたのだ。
「わたしは簡単にスーツを着ていきますし、髪もそんなにいじらないんで。前もって提出できればよかったんですけど、最近ちょっと忙しくて」
「へえ、年頃の女の子ってみんなこういうのに力入れてくものだと思ってました」
日本に来て長いのか、それともこっちで生まれたのか、きれいな発音で日本語を話す彼に感心した。
「まあ、実は俺もこれから成人式なんですけどね」
「あれ、それじゃあ同い年なんですか」
スーツを着ているし、てっきり研究室の関係者だと思っていたわたしは素っとん狂な声をあげてしまってから、赤面した。
「そういうことになりますね。法学科二年の仁科詩音です」
「あ、独文科の西園寺明菜です」
自然と差し出された手と握手を交わして、それからわたしは少し可笑しくなって噴出した。
「なんかエスカレーターに閉じ込められて自己紹介ってのも変な感じですね」
「そうですね」
ふと苦笑いめいた笑みを浮かべた口元がなんとなく素敵だなと思った。
「ああ、同い年だしタメ口でいいですか? 西園寺さんもタメでかまわないので」
「あ、どうぞどうぞ」
「それにしても困ったな。ケータイもつながらないし。俺のドコモなんだけど、西園寺さんのキャリアどこ?」
「わたしのはauだけど……つながらないみたい」
それからもう一度仁科さんは緊急連絡用のマイクに声をかけていたけれど、どうもやはりつながらないみたいだった。
「まあ、俺は成人式出るつもりは初めからなかったから別にいいけどな。西園寺さんが式に出られなかったら可哀想だし。なんとかしないと」
「すいません」
そんな話をしつつ、わたしはなんとなくこの密室が案外長くなるんじゃないかと予感していた。
エレベーターに閉じ込められて早くも30分がすぎていた。
その後、仁科さんはエスカレーターのドアをこじ開けようとしたり、ドア越しに外の人と連絡が取れないか試してくれたけど、どれも上手くいかなかった。
仁科さんが苦肉の策で出した「天井の業務用のハッチから出れば……」というアイディアも、ハッチに鍵がかかっていて徒労に終わった。
「仁科さん、すいません。ここまでしてもらって。でも少し待ってみましょう」
「時間、大丈夫ですか?」
「ええ、1時までに会場につけばいいから、あと一時間くらいは余裕があるから」
「そっか」
仁科さんはうなずくと、おもむろにスーツの上から羽織っていたジャケットを脱いで床に敷いた。
「座りましょう。どうぞ、座ってください」
「ええ!? そんな、いいよ。床に座るから。汚れちゃうよ」
「立ってたんじゃ疲れて成人式どころじゃなくなるよ。それに女の子に床に座られたんじゃ男として立てる顔がないし。ここは俺を立てると思って座って」
ずるいなぁと思う。そんなこと言われたら座らざるをえない。
「じゃあ、ちょっと場所狭いけど、仁科さんも一緒に座ってよ。それだったらわたしも座るから」
「……わかった」
一瞬ためらうような仕草をしたけど、仁科さんは渋々と言う感じでジャケットの端っこに腰を下ろした。
それを見て、わたしも遠慮がちにジャケットの上に座った。
やっぱりジャケット一枚の上に2人で座ると言うのは少し無理があったかもしれない。隣りにいる仁科さんと肩や腕が触れ合ってしまって、心臓がどきどきしてしまう。
中学高校と、今の大学の付属女子校に通っていたわたしはあんまり男の人に対する免疫がないので、こう言うときにどうしていいのかわからなくなってしまう。
だっていうのに仁科さんは落ち着いてるなぁ。
エレベーターに閉じ込められているって言う状況はわたしと一緒なのに、全然焦った様子もないし、仁科さんが落ち着いてるからわたしもそれほど焦らなくてすんでる。
これがわたし一人だけだったらなと思うと、少しぞっとする。
「まあ、エレベーターは安全装置が作動するから垂直落下することはないしね。空気を取り入れる穴もあるから酸欠になる心配もない。火災で停止してるんじゃなければ危険はほとんどないよ。サイレンが鳴ってる気配もないから火事ってこともないだろうしね」
なるほど。こういうところは男の人だなぁ。
どんなに頭で安全とわかっていても、女の子はなかなか安心することができない。逆に隣りに誰かがいるというだけで安心できちゃったりするから不思議なものだ。
「それにしても参ったな。今メール待ちなんだよね。ケータイがつながらないのはつらいな」
電波がつながらないのはわかっているのだろうけど、ケータイを片手に角度を変えたりして試行錯誤をしている。
「何か急ぎの用事なんですか?」
「いや、急ぎっていうかね……実は今彼女と喧嘩しててさ」
仁科さんは少し自嘲するように苦笑いを浮かべた。
「たぶん別れることになると思うんだけど。そろそろ連絡が来るころなんだよね」
もうあきらめがついたように、さばさばと言うけれど表情の端々にまだあきらめきれない苦さのようなものが混じっていて、それは見ていて少し痛々しいものだった。
「大変じゃないですか。早く電波の届くところに行かないと、彼女さんにますます余計な心配かけちゃうよ」
わたしは立ち上がってもう一度緊急連絡用のマイクに声をかけた。
出ても出なくてもどっちでもいいわたしの成人式なんかよりも、仁科さんの事情の方がよほど重要のような気がする。
「すいません、誰かいませんか!」
わたしは通話ボタンを押して何度も呼びかけた。
「やっぱりでないか」
後ろで見ていた仁科さんが、あきらめたようにつぶやいた。
「もうちょっと粘ってみないとわかりませんよ!」
わたしは少しムキになって言い返した。
なんとなく、あきらめてしまったような言い方をする仁科さんが嫌だった。もっと積極的に前を向いていればきっと良いこともあるのに。
うん、正直な話をすればわたしは仁科さんに一目ぼれをしたのかもしれなかった。
今までろくに恋なんて経験したことがないからはっきりとはいえないけれど。
だからこそ、なんとなく暗い顔をしている仁科さんを見ているのが嫌だったのだ。
「すいませーん! 誰かいませんか?」
再度呼びかけたそのときだった。
『はい、こちら警備室です。どうしましたか』
少しノイズ混じりの声がスピーカーから聞こえてきて、わたしは仁科さんと顔を見合わせた。
「今日は本当にありがとう」
なんとかエレベーターから抜け出して、わたしたちはほっと一息ついた。
「ううん、お礼言われるようなことはしてないよ。それより、ジャケット汚れなかった?」
「うん、それは大丈夫」
晴れ晴れとした顔をして仁科さんは笑った。さっきのような自嘲するような影は見当たらない。
わたしはこれでよかったと思った。
なんとなくこれで仁科さんと彼女さんが上手くいったら、なんて思うと少し胸が痛いけれど、まあそれはそれだ。
「じゃあ、彼女さんによろしくね。ちゃんと仲直りするんだよ」
「ん、ああ。ありがとう。でも今日連絡がついたらやっぱり別れようかと思う」
「えっ?」
わたしはびっくりして彼の顔を見た。
「いや、なんか今日エレベーターの中でいろいろ考えて、やっぱり喧嘩するのには理由があるんだなって何となく分かった気がする。俺も、彼女もお互い本当に好きじゃなかったんだなって」
「え、あ、そうなんだ……」
わたしはどう答えて良いのかわからなくて、首をかしげた。
エレベーターの中でそんな考え方を改めるようなことあったっけ?
「なんにせよ。西園寺さんのおかげですごく気が軽くなったよ。本当に感謝してる」
「あ、うん。いや、ううん。そんな感謝されるようなことしてないし」
わたしは少し照れてパタパタと手を振った。
「じゃあ、俺そろそろいくわ」
時計をチラッと見た仁科さんがそう言った。
「あ、そうだね。わたしも少し急がないと」
時計を見れば、急いでいかないと間に合わない時間だった。
「それじゃあ」
「またね」
ふたりは、さっきまで閉じ込められていたビルの前で二手に別れた。
最後に一度だけ振り返ると、仁科さんも少し振り返ったところだった。
「今度また会ったら、お茶でもどう?」
仁科さんは少し悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。
わたしは少しドキドキして、
「うん、また会ったらね」
そう言って手を振った。
同じキャンパス内とは言えもう会うことはないかもしれない。
けれどもう一度会ったら、そう思うだけで楽しい気分になった。
今度こそわたしは振り返らずに歩きだした。
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最近物語りの展開が甘いと言われるので、少し起承転結に注意して書きました。
執筆時間が短いので、2人の気持ちの変化の書き込みが甘い気もしますが、その辺は大目に見てくださいw
4170字
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