こぽこぽと音がする。なぜか瞼は重く、特別光も無い。ゆらゆらと何かがあることはなんとなく分かるが、不思議に思っても私には分からない。知る術が無いので、ただ考えるだけだ。といっても形も分からないので何を想像したものか、と少し首をかしげて終わった。
ざあざあと音がする。これは揺れる音だ。今まで何度か聞いて憶えた音だ。とても心地良い、眠ってしまいそうな音。私はゆっくり身体をねじり、回転する。一瞬息苦しく思ったが、すぐに治った。ああ、そろそろだよ、と私の中の何かは言う。私には何が『そろそろ』なのかは分からないが、そうなのだ、と喉に詰まることも無くそう納得していた。相変わらず瞼は重かったが、ゆらゆらとした光が見えるようになった。美しくて触れてしまえそうで、でも私の腕が短いがために、決して届くことはなかった。しかし悲しくは無かった。いつか、届く日が来るような気がしたから。
ごおごおと音がする。その音に目が覚めて、私は重たい瞼をほんの少しこじ開けた。色というものがよく分からないが、底にいる気がした。上に光が見えたから、きっと私は底にいるのだ。背中に底の感触があるもの。きっと私は沈んでいるのだ。そう、思った。なんだか私は嬉しくなった。心のグラスに温かいものが注がれた。分かるというのはいい。何も見えなかった以前よりずっと素敵だ。私は嬉しくていつもは動きの鈍い手足を思いっきり動かして、自分なりに表現した。少し動かしただけで私の身体は悲鳴を上げて、すぐに動かなくなってしまった。とても残念だが、どうやら今はここまでが限界らしい。しかしそれは今であって、明日はどうなるか分からない。そう思うと眠るのがとても楽しみになった。開きかけた瞼をまた閉じて、私は底で深く眠りについた。
みしみしと音がする。今まで聞いたことのない音だった。とても苦しそうな音。実際私は悲鳴を上げていた。壁に押し付けられ頭が割れ、手は硬くなり、足には力が入らない。私はどうなってしまうのだろう。まだあの揺れる光に触れていないのにここで死んでしまうのだろうか。頭が蠢く何かに運ばれて、身体はずぶずぶと底へ沈んでいく。私は恐ろしくなった。温かなこぽこぽという音がどんどん消えてゆく。私も音と共に消えてゆくのだろうか。壁はみしみしと鳴いて私の身体を締め付けてくる。痛い。怖い。嫌だ。行きたくないのに壁が私の言葉を無視して、徐々に底へ底へと私をいざなう。頭が割れたせいか瞼も開けられない。ここは暗く狭い。
突然壁が私に言う。もう少しだ、頑張りなさい。私はカッとなって毒を吐きたくなった。お前のせいじゃないか、何が頑張れだ、私は死ぬのだろう? 壁はもう少しだ、と言うだけで私のことなどちっとも気にしてはいなかった。なんだか息が苦しい。締め付けられているせいだろうか。違う、そろそろ私は消えるのだ、と思った。あの心地よい音たちと共に。そう深く眠ろうとしたその時、頭の上半分に冷たい何かが触れ、その部分だけ締め付けが無くなった。壁を抜けたようだ。しかし寒い。なんだか怖い。このまま苦しいまま消えてしまうよりいいのかもしれない。でもひどく怖い気がした。すると壁が最後の力だ、と言って思いっきり私を押し出した。私は思わず悲鳴を上げた。体中が寒い。ひんやりと何かが張り付いてくるようだった。私は悲鳴をとめることができなかった。苦しくも無いのだけど、急にあんなに締め付けられていたところから、何も無い空間に落とされたせいで、身体のあちこちが痛くてチクチクする。寒い。痛い。すると何かにくるまれた。さして温かくも無かったが冷たくも無かった。落ち着いた私は大きく息を吸った。こんなに身体の中に空気を入れたことが無くて、少し驚いたがとても気持ちが良かった。少し落ち着くと瞼は閉じているのに、底に居たときよりずっと眩しい光があった。ああ、あのときのいつかになったのだな、と思った。すると私の中の何かが、答えた。まだまだ、君はまだまだだよ。なんだ、まだまだなのか。と残念に思ったが、また眠れば少しは違うのかなと思えた。そして私はその光の中でまた眠りについた。
緑っぽい光や白っぽい光が点々と続く仄暗い空間に、窓際の黒いシートの長椅子に座り指を絡ませて、神の前にいるかのようにうな垂れている一人の男が震えていた。窓の外では雲が泣いており、辺りはその泣き声で満たされていた。その男の前には硬く重い扉があり、男を不安にさせるどこか冷たい乳白色をしている。その上にある赤いランプが突然消えて、扉が開き、全身青い男が現れた。うな垂れていた男はすっくと立ち上がり、小走りで青い男に駆け寄ると、青い男は目しか見えなかったが笑って彼に言った。
「おめでとうございます。三一七〇グラムの女の子ですよ」
「有り難うございます、先生。それで妻は?」
「難産でしたからね。頑張りましたよ、奥様は。お子さんの顔を見たら安心されたようで、今は眠っていますよ」
「そうですか。良かった」
男は青い男に肩を叩かれぽろぽろと滴を落とした。
それは私が聞いたあの優しく温かい音に似ているような気がした。こぽこぽとざあざあと、仄暗い青っぽい空間に、その音は響いた。
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